自転車生活の安全を支える自転車屋さん
自転車は、ちょっとした不注意や気の緩み、整備不良が原因で命を落とすこともある危険な乗り物でもある。
自分ではいつもそのことを自覚し、自転車の安全走行を心がけ、日常の点検整備も疎かにしないように気をつけている。
日々の簡単な点検整備は自分でするが、専門の知識や工具が必要なときは行きつけの自転車屋さんにお願いする。自分のちっぽけな知識より、自転車屋さんの専門知識とノウハウと確かな経験技術のほうが頼りになるからだ。安全な自転車生活をおくるうえで、自転車屋さんの存在は大きい。その縁の下の力持ち的仕事に心から感謝と敬意を払うのである。
スポーツバイクの初級メカニック講座
さて、2年ほど前、(一財)自転車産業振興協会の伊崎さんを訪ねたときのこと、協会主催の『スポーツバイクのメカニック初級講座』があることを知った。
スポーツ自転車のメカニックを養成する目的の講座で、いつか受講してみようと思った。自分の自転車メンテナンスの知識をアップデートしたいという気持ちもあった。
コロナ禍で休講していたが、今年(2023)から再開すると知り、その日に予定がないことを確認して申し込んだ。
2023年8月23日、スポーツバイクメカニック初級講座を受講することになった。
スポーツ自転車の整備のイロハを学ぶ
当日の受講者は8名だった。
現役の自転車屋さんは1名。それにEバイクのメーカー勤務の方、北海道の自転車ツアーガイドの方、自動車メーカーに勤める方という多様な顔ぶれだった。
講座は10時にスタート。
お昼をはさんで16時まで。
なかなかの長丁場である。
自転車を囲んでの体験型の講座に8名の参加者はちょうど良い人数だった。
例えば、ボルトやねじを適正トルクで締め付けるために使う『トルクレンチ』の使い方を学ぶ場面では、ひとりひとり実際に使う機会が与えられた。使ってみると、これがなかなか難しいことがわかった。道具を正しく使うために練習が必要なこともあるのだ。
通常のメカニック講座ではプロショップの目線から講義が進められるようだが、この日は受講者の顔ぶれを配慮して、専門的な内容をユーザー目線でわかりやすく丁寧に解説してくれた。
質疑応答も気軽に交わされ、終始リラックスした雰囲気で、約5時間の講座はあっという間に終わってしまったという感じだ。
専門的で少々難しいメカニックの講義も楽しみながら学ぶことができたのは、ご自分のエピソードや失敗談などを交えながらの名調子で講義を進めてくれた講師の河村さんのおかげである。ありがとうございました!
終わってみると、いままでとっつきにくく面倒だと思っていた自転車メカニックの敷居が少し低くなった。メカニックに必要なノウハウをひとつひとつ理解していくのは楽しいのである。
ちなみに僕らが講座で学んだのは下記の内容。
スポーツバイクメカニック初級講座の内容
【講義1】 スレッドレスヘッド -AHEAD- (仕組み・調整方法・規格)
【講義2】 チェーンの規格 (互換性と伸び)
【講義3】 締め付けトルク (トルクと軸力、トルクレンチの使い方、自転車ネジ)
【講義4】 ホイール関連の規格 (バルブの種類と空気圧、タイヤトリムの嵌合・ETRTO)
【講義5】 自転車の組み立て作業の前に (開梱・組み立て前のチェック、カスタマーサービスへの連絡)
【講義6】 GD値 (ギア比・タイヤ周長、GD値を用いた様々な計算)
自転車部品の規格が違うという憂鬱
同じように見える自転車でも、構造や部品が時代とともに改良(もしくは改悪)されて、過去の部品が使えなくなることも多い。
規格を統一しようじゃないかという動きも時々起こるけれど、その取り組みが現実的になることはほとんどない。そんなメカニック泣かせの自転車づくり、パーツづくりが続く現状にがっかりする。
自転車に新しさ、快適さ、速さ、機能ばかりを追求するあまり、古い自転車が見捨てられ、乗らなくなった自転車が増える。恥ずかしながら、自分もその類の自転車を何台か所有し、悲しいかなガレージの奥に埃をかぶって眠っている。
規格が変わって、互換性がなく使えなくなった古い部品が手元に残っているというのもよくある話である。使わなければゴミ。規格の合う自転車を探すというのもまた手間と時間がかかる。自転車の部品も埃をかぶってしまう。
自転車の世界にはこういう無駄が隠れている。
自転車は移動手段と娯楽がひとつになった素晴らしい乗り物
本来、自転車は移動手段と娯楽がひとつになった素晴らしいのシンプルな乗り物である。
コドモからオトナまで誰でも楽しめる便利な道具。
安価なものから高級なものまである価格帯のなかから、容易に入手できるのも自転車。
健康にも良いし、環境に与える負荷も少ない。
今回、スポーツバイクメカニック講座を受講したことが、自転車の輝く未来に何か少しでも役立てることができることを願うばかりである。