人と人との「もやい」。自然や大地との「もやい」
今年の『もやい展』は4月1日~8日の日程で東京江戸川区船堀の江戸川区タワーホール船堀を会場に開催されている。
実行委員会の中筋純氏はじめ、みんなのデータサイトの小山さん、中村さんなど知り合いが関わっていることもあり顔を出すことにしていた。
コロナ感染が終息へ向かうどころか依然拡大続く首都圏東京。混雑する電車のリスクを避け、比較的空いていると思われる日曜日の午前中に行った。
もやい展の「もやい」とは荒縄の強い結びこと。
2011年の東日本大震災による福島原発事故によって引き裂かれた人と人の「もやい」、自然や大地との「もやい」、その分断の溝によって生み出される沈黙を芸術家や表現者たちの「もやい」によって打破することはできないだろうかと2017年から始まった活動である。
表現を生業にしている芸術家や写真家などのアーティストたちの多くが避けて通れないテーマ、それが東電福島事故だ。ポスト原発事故に向き合い、それぞれの考えと解釈、それぞれの手法で作品にメッセージを吹き込む。
会場に入り、作品が展示されている空間に一歩足を踏み入れて僕は、作品に込められた彼らメッセージにハッとする。
自分のなかで2011年の大震災と原発事故は他人事で過去の出来事になっていたことに気づいた。自分事のはずのあの悲惨な出来事が不覚にも風化してしまっていたのだ。
いかん、いかん。自分がもっとも嫌っていた「過去に何も学ばない、過去を反省しない日本人」に自らがなっていたとは。
2011年、悪夢のような原発事故で露わになった日本社会のほころびの数々に絶望し、湧き上がってきたやり場のない怒りのようなエネルギーを決して忘れることはないと思っていた。それなのに月日が経ち、日々生活に追われ、原発事故から学んだ教訓は人ごとになってしまっていたのか。愚か者の過ちとはこういうことなのかと、自分が恥ずかしくなった。
「星ひかり朗読」福島から私の子どもたちへ
そして会場では詩の朗読会があった。
震災と原発事故で故郷の福島を離れ東京へ避難し、3人のお子さんと暮らす星ひかりさんが、避難生活のエピソードとライアーの美しい演奏を交えながら、自身の詩を自身が朗読した。
彼女が詩を書き始めるきっかけになったことは避難中に自分の感情を言葉に出すことができなくなり、文字に書き留めたことからだった。住み慣れた故郷を離れて不安と厳しさを抱える避難生活の現実や子どもたちへの愛情、社会保障や人権についての疑問や憤りなどの感情や思いが結果的に詩になったという。
詩の朗読を聞いて、震災被害者への国のサポートがいかにお粗末なもので、10年を経過したのにもかかわらず、じゅうぶんな保証もなく、元のような経済状況の生活再建もできない現実をただ受けとめるしかできなかった。
「現実を知ってもらうことを止めない」と彼女は言っていた。
原発事故で人生の見直しを強いられた人たちの気持ちを100%理解することはできないと思うが、彼女たちの想いに共感し、社会にはびこる矛盾や不平等や生きづらさを少しでも何とかできるように俺も頑張ろうと決意を新たにした。
野生のキノコプロジェクト放射能測定マップ
会場の特別展示ルーム、全国市民放射能測定室ネットワーク「みんのデータサイト」の展示ものぞいた。
最新のデータとして、野生のキノコの放射能を測定した「2020年度キノコプロジェクト放射能測定マップ」があった。
10年を経て放射能の生態系、環境への生物濃縮が進んでいることが確認できる。放射能は消えることはなく、移行するだけなので気をつけなければならない。
ポスト原発事故を自分はどう生きていくのか?
変わったことと、変わらなかったこと。
『もやい展』に来て元気が出た。
「ポスト原発事故をどう生きていくのか?」をもう一度よく考えよう。
さっきまでぼんやりしていた頭がスッキリした。
会場を出たら、見覚えのある自転車姿の外国人が横断歩道を渡って来た。
やっぱりアーサー(・ビナード)さんだった。
『もやい展』を見に来たとのこと。挨拶をして、少し立ち話をして手を振って別れた。
使い込んだ自転車とステッカーだらけのヘルメットを被ったガイジンがホールの駐輪場へ消えていった。
『もやい展』は4月8日(木)まで。